ナナミロク

在原七海のファンサイトです(大嘘)

【作文】「きれいなお姉さんに養われたくない男の子なんているの?」【夏休み宿題】

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ぼくはナイトハルトです。大学4年生です。


ある日、おなじマンションに
すんでいるケータくんのめんどう
を見ることになりました。


ケータくんは宿題の
どく書かんそう文がきらいみたいです。


お兄ちゃんかわりに
書いてよ!


ケータくんはぼくを見ながらそういいました。


たぶんすぐ書けるけど文字とかで
バレるんじゃないかな?


ぼくは本人のためにならないと
おもったのでことわりました。


でもただことわるだけじゃもうしわけないと
おもったので、あるアイデアをだしました。




じゃあぼくがさいきんよんだ本について本気で作文を書いてみるからさんこうにしてみる?




ケータくんは元気よく「うん!」とうなづきました。


ケータくん小学3年生なのでげんこうようし3まい分、つまり1200文字いないで書かないといけません。


こうしてぼくは作文
を書きはじめました。


☆☆☆☆☆


できた!


1じかんあと、ぼくはできあがった作文
ケータくんにみせにいきました。


ケータくんは、キラキラした目
ぼくを見つめました。
とてもたのしみにしてくれたようです。


よみにくい言葉もあるから
お兄ちゃんがよむね!


ぼくは元気よく、よみはじめました。




























資本主義における労働の限界と扶養の展望
『きれいなお姉さんに
養われたくない男子
なんているの?』を読んで


□近年大幅な雇用の減少と労働基準法を遵守しない違法企業が跋扈している現代社会において、民衆は労働への意欲を過剰に失っているように思える。「楽して稼げる」を謳い内容を伴わない情報商材を販売する悪質なインフルエンサーが巨額の利益を得ている事例からもわかる通り、人々は経済的に救われたいという願望を抱いている。本作『きれいなお姉さんに養われたくない男子なんているの?』もまたそんな民草へ向けてタイトルによる問題提起を行い、読み手に問題意識を与えてくれる。
□本作の主人公、一ノ瀬瑛太氏は学生でありながら、父子家庭ながら家を空けがちな父親に代わって土日もアルバイトで生活費を賄っているような堅実で誠実な少年であった。しかし運命の悪戯か、父親が失踪したことを雇用先の責任者に知られてしまい、親権者不在を理由に解雇を通告されてしまう。現実でも世間体を気にして雇用主が労働者を解雇することは珍しいことではない。さらに同日、氏の居住している賃貸の家賃を契約主である父親が滞納していたことが判明。契約不履行により強制的に部屋は撤去され、氏は一夜のうちに職も住処も全て失ってしまった。一人公園で夜空を眺める彼の眼には、嘲笑うかのように煌煌と瞬く星々が映っていたに違いない。その時、背後から氏を呼ぶ声がした。「それならお姉さんの家においでよ!」とその声の主である年上の麗人は朗らかな声でそう提案した。氏はこの年上の麗人に扶養されることになったのだが、どうやらこの麗人は相当な富裕層であるようで、氏の望む物は全て買い与えてもらえ、家の調度品は全て最高級品であった。それだけでは終わらず、麗人は氏が何かをする度に過剰なまでに賞賛の言葉を送った。因果応報という言葉があるように、氏の善行が報われたのだ。
□さて、ではこの作品が伝えたかったことは何だろうか。それは『養われることは誇るべきことだ』という考えに他ならない。かの有名なマルクス氏は著書『資本論』において「資本主義社会の中においては、人や金に働かせる資本家階級と自分の労働力を商品として売るしかない労働者階級の二つに分かれている」と述べている。そして養われることは人を働かせて利益を得る資本家階級の特徴と一致する。故に養われるということは資本家階級として資本主義経済に参加しているのと同義だと言える。作中で一ノ瀬氏が年上の麗人に養われているその姿は、労働に対し意欲を失ってしまった者たちへの救済を描いたものに違いない。
□ 「働けど働けどなお、わがくらし楽にならざるけり」と石川啄木が述べているように、資本主義における労働には限界がある。今こそ我々は胸を張って養われるべきではないだろうか。(1198文字)」












作文をよみおわったぼくをみて、
ケータくんがいいました。






















「お兄ちゃん、
"やしなう"ってなに?」





純粋なままのキミでいて。


ぼくはしみじみとそうおもいました。
たのしかったです。



〜おしまい〜